Tomoh:
MULTITUDISCO DJ & Magical"subliminal"Gang

2009-11-09

John Cage


 


John Cage 100th Anniversary Countdown Event 2007-2012

http://jcce.exblog.jp/



"沈黙と構造"

これが今回のテーマだった。

まず"沈黙"は、極端にいうと人間において無音という状態はありえずに、常にその環境において何か組織化されていない音が存在しているということだ。

"沈黙"という概念はそのフレーム化されていない音を聴く、それも注意力、集中力をもってじっくり聴くという、普段行なわれているようで音楽を聴く時にも実はほとんど行なわれていない行為をさせる/意識させるところが大きなポイントだと思う。(”沈黙”という概念の極論が"4:33"であるわけだけど、この、音に対して注意力とか集中力を持たせる、またその聴くという行為自体に焦点を当てるというのはサウンド・アートの中でも大きなテーマの一つだ。)

対して"構造"はそのまんま楽曲を形作るリズムやメロディのこと。

"沈黙"がノンフーレムなのに対して、"構造"ははっきりとフレームを持っている。
言い換えると"沈黙"は演奏者と観客を含めた会場全体を一つの空間として意識/無意識的に認識させられるんだけど、"構造"は演奏者と観客というこちらとあちら側という二分された関係性がはっきりとあらわれるという感じ。

今回のプログラムは休憩を挟んでの二部構成で、前半後半どちらも"沈黙"の楽曲のあとに"構造"の楽曲をという流れで、"沈黙"をノンフレームで聴いていたところに急にはっきりとしたフレームが現れてくるわけだから、"構造"がより明確に意識されることになる。(今回の "構造"の楽曲は"Primitive","Sports : Swinging"の2曲で、前者は名前からしてという感じのリズムがはっきりとしたもの、後者はサティの楽曲を基にしたもので、非常にシンプル。どちら も"構造"というかフレームをとらえやすい曲であった)


明確に意識されるということは、よりしっかりと聴くという行為が行なわれるということ。

そして"構造"が明確に意識されることで、その前の"沈黙"も存在感を帯びてくる。
"沈黙と構造"この2つが相互関係として成立しており、テーマがしっかりと伝わってくるプログラムだった。


これがジョン・ケージ、ではなくてジョン・ケージのある一部分、なのだからジョン・ケージという人には興味が尽きない。


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その後は、エッグタルト、ホルモン千葉という流れで。
うますぎる。
ボサノヴァ、カジヒデキ、オザケン、90年代おしゃれの話で盛り上がる。
Relax世代だから。